今回紹介する物は平和島<->大井間の乗継ぎ制度をご紹介します。
その13号地・有明間の乗継制度を紹介致します。
本制度は、1号羽田線特定区間利用車を対象に13号地まで、又はその逆区間を乗り継げる制度で、普通車200円で通行できる制度として始まりました。
首都高湾岸線を東京港トンネル大井で降りると乗継券渡され平和島から一号線で川崎方面に行けた。
— ꒰ঌ ちゅるたん。 ໒꒱·̩͙⋆.*・゚は白い袴のひと #ありがとう福岡に越して5周年記念 (@km_osg19720703) September 12, 2013
#昭和生まれっぽい発言をしろ
まず、1号羽田線特定区間料金は、1969年12月1日に羽田・空港~平和島間を普通車100円として設定されました。これは、東京線末端区間であり、羽田・空港に料金所が未設置であったことが関係していると考えられます。
その後、大井~13号地間は1976年8月12日に開通し、約2年後の1978年1月20日に本制度が開始されました。
時期としては新木場~浦安間が開通されたのと同時ですが、なぜこの時なのかは不明ですが、利用距離が短いのの300円は割高だったことから、利用を促すため辺りでしょうか。
また、本制度は料金認可に基づく措置ではないようで、資料による料金認可欄にも記載が無く、首都高速道路公団30年史での記述でも”特例措置”と表現されていることから、根拠については不明です。
本制度の実施機関は、1978年1月20日~1984年12月11日になっています。
1号羽田線特定区間から13号地へ乗り継いだ際の領収券
1979年3月31日 大井入口料金所発行
普通車 100円
平和島(上)料金所発行 平和島(上)→大井100円乗継券
こちらは平和島上り出口料金所で交付された乗継券です。
大井入口料金所で100円支払う必要がある旨が記載があります。
対象車両は、前述したとおり特定区間の利用車、つまり1号横羽線若しくは羽田及び空港入口からの流入車のうち平和島で流出した車両です。
対象車は平和島上り出口料金所で普100円の支払い、領収券と乗継券が同時に交付されたと思われます。
1979年1月11日 平和島上り出口料金所発行
普通車 100円
1976年12月24日 和島上り出口料金所発行
大型車 200円
13号地料金所発行 大井→平和島(下)無料乗継券
こちらは、13号地入口料金所で発券された乗継券です。左の黄色い券が大型車、右の薄茶色の券が普通車です。両者とも大きな差違はないのですが今回例示したものでは左上の券番の色・フォントの違いが挙げられます。が、これがまた厄介でフォント違い、赤文字黒文字、券番と車種が1段か2段か・・・と違いが両者ともありますが、発行年が無いことから整理することは正直困難です。
また、大井出口は料金所未設置であることから、13号地入口にて発行されていました。
逆方向との違いは、100円の支払を求められない点ですが、これは東京港トンネルの通行料は本来200円であることが関係しています。つまり入口で乗り継ぐと言った場合に100円に値引く取り扱いですと、乗り継ぐわけ出ないのに偽った申告をすることで東京港トンネルを100円で通過出来ることになり、料金を免れることが出来てしまうからです。
それを防ぐ目的で、先に200円徴収し平和島では東京港トンネルを100円で通行し、1号線特定区間料金100円を支払ったとみなしていたと考えられます。
2022/01/17追記
なお料金の支払い等は、浦安IC-高谷JCT開通に伴う、首都鉱毒道路公団発行の道路地図に詳細に出ています。
『首都高速道路 開通 浦安←→高谷』(首都高速道路公団,1982)
なお、本券全てとも裏面には地図が印刷されています。
余談
本制度は、湾岸分岐線の完成に伴いその役割を終えたと考えるのが自然ですが、実際には13号地~有明間開通の日まで制度が存続しています。
参考文献
また、高速湾岸線の部分供用開始に伴って、同路線と首都高速1号線特定料金徴収区間とを引き続き通行する車両に対しては、昭和53年1月20日から乗継券を発行して料金支払の特例措置を講じていたが、同路線の供用の実態に即応し、同路線が全線供用するまでの間*引用者注1984年12月12日、引き続き乗継券を発行することとして、利用車サービスも図った。『首都高速道路30年史』249頁(首都高速道路公団,1989)
大井料金所(西行)(高速湾岸線1期2次供用)*引用者注1982年6月1日?
(省略)高速湾岸線(1期)3次供用時*引用者注1983年2月24日に2L-2Bに縮小予定であったが、供用しても交通流が減らないため3L-3Bで留められている。また、建設省施工の3種道路供用時に、50mほど横浜寄りに2L-2Bで設置替となる。『高速湾岸線(1期・2期)工事史』364頁(首都高速道路公団湾岸線建設局,1984)
湾岸分岐線供用後にここまで需要があった理由はおそらく特定区間料金が存続したこと、羽田・空港~大井に特定料金が設定されなかったことが考えられます。
これは湾岸分岐線を経由してくる車両は大井で東京線料金が徴収されており400円なのに対し、平和島大井乗り継ぐと200円で済むためです。
また、なぜ公団が特定区間を設定しなかったかを考えると、設定した場合本線料金所では、東京線全額支払う車両と特定区間の車両が混在することになり、13号地→有明間の乗継券交付ミス、料金所での徴収ミスへの懸念や判断が必要になることでの処理速度の低下を防ぎたかったのではないかと思われます。
こればかりは記述がないので妄想ですが。
『首都高速道路30年史』249頁(首都高速道路公団,1989)
『首都高速道路30年史〔資料・年表〕』133頁(首都高速道路公団,1989)
『高速湾岸線(1期・2期)工事史』364頁,資-5(首都高速道路公団湾岸線建設局,1984)